(注)年譜作成にあたっては、『ドナルド・キーン著作集 別巻 補遺:日本を訳す/書誌』(新潮社、2020年2月)及び『別冊太陽 日本のこころ254 ドナルド・キーン 日本の伝統文化を想う』(平凡社、2017年9月)を適宜引用した。また多くの方々に貴重な情報を提供いただくなど、多大なご協力をいただいたことに、心より感謝する。未確定の情報については「?」で示しており、今後調査を進めていく予定である。以下の年譜は、2022年(令和4年)5月18日版である。
1942(昭和17)年 20歳 |
2月25日、コロンビア大学より学士号取得。 2月、日米開戦に伴ってカリフォルニア大学(バークレー)に開設されたアメリカ海軍日本語学校に第2期生として入学。海軍少尉に任官される。海軍寄宿舎に居住するも、その後「2313 Warring Street」(バークレー、カリフォルニア)に転居。 6月、「唐納同志」(ドナルド氏)宛に「森美」(サム・ブロック)から Jonathan Swift の Gulliver’s Travels (New York: The Heritage Press、1940年)を贈られる。陸軍病院で盲腸の手術を受ける。真珠湾攻撃による怪我人と同室。 6月18日、入院中、友人の一人から誕生日祝いに火野葦平の『土と兵隊』の英訳本を贈られる。同作品が初めて読んだ日本の現代小説となる。 6月23日、コロラド大学(ボールダー)に移転。 アメリカ人宣教師や坂井米夫ら日系人の教師のもとで、長沼直兄編『標準日本語読本』をテキストに日本語を習得。授業は月曜日から土曜日まで1日4時間行われた。また当初は授業期間が16カ月に設定されていたが、戦場での語学将校不足が深刻な問題となり11カ月に変更される。クラスメイトにオーティス・ケーリ(のちの同志社大学名誉教授)、デヴィッド・オズボーン(のち駐日公使)、テッド・ドバリー(のちコロンビア大学教授)がいた。また、7ヶ月後にエドワード・サイデンステッカーが入学する。 |
1943(昭和18)年 21歳 |
1月13日、海軍日本語学校を卒業。コロラド大学の Macky Auditorium で行われた卒業式では最優秀生として総代を務め、日本語で告別の辞を述べる。サム・ブロックとともにサンフランシスコへ向かう(のちハワイへ)。 |
1944(昭和19)年 22歳 |
週2日、ハワイ大学の上原征生教授に日本文学の講義を受け、菊池寛『勝敗』、夏目漱石『坊つちやん』、武者小路実篤『友情』、谷崎潤一郎『痴人の愛』、小林多喜二『蟹工船』、紫式部『源氏物語』などを原文で読み、菊池寛の『勝敗』の感想文を日本語で書く(これが初めて日本語で書いた文章となる)。 ハワイの捕虜収容所で音楽会を開き、日本の流行歌やベートーヴェン作曲「英雄交響曲(エロイカ)」のレコードをシャワールームで日本人捕虜と聴く。捕虜の中には小柳胖(のちの新潟日報社社長)や同盟通信記者の高橋義樹(筆名:堀川潭)、豊田穣などがいた。 |
1945(昭和20)年 23歳 |
3月、グアム、フィリピン群島のサマル島、レイテ島を経て、沖縄近海の輸送船の上で神風特攻機と遭遇する。 |
1946(昭和21)年 24歳 |
1月9日、サンフランシスコから列車を利用し、ニューヨークへと帰還する。 1月20日、海軍を除隊する。 2月、退役軍人奨学金を獲得し、コロンビア大学大学院に入学する。角田柳作のもとで日本の歴史・思想・文学を学び、『往生要集』、『源氏物語』(「須磨」・「明石」)、『枕草子』、『徒然草』、『松風』、『卒都婆小町』、『おくのほそ道』、『国性爺合戦』、『好色五人女』などを読む。また、ドイヴェンダック教授のもとで中国文学の講義もとり、賈誼の『過秦論』や『紅楼夢』を読んだ。捕虜収容所で親しくした元日本人兵士と連絡を取り合い、将来も勉学は続けたいとの思いを伝える。 夏、テキサス州に住むサム・ブロックの家(ダラス)に招かれ、南部を旅行。ミシシッピ州のナチェス、ニューオーリンズ、ダラスへ移動し、鉄道でメキシコに行った。2ヶ月以上をかけて『西域物語』など本多利明の著作を読む。 12月初旬、文学士論文(修士論文)を書き始める(タイトルは「本多利明の思想」)。 |
1947(昭和22)年 25歳 |
2月26日、角田柳作のもと「本多利明論」で大学院修士号を取得。近松門左衛門の戯曲『国性爺合戦』の英訳を始める。 |
1948(昭和23)年 26歳 |
7、8月、バークレーに2ヶ月ほど小さな家を借りる。ニューヨークからサンフランシスコまでバスで4日間かけて行った。サンフランシスコでは、オペラハウスで案内係のアルバイトをした。 |
1949(昭和24)年 27歳 |
1月、アーサー・ウエーリと初めて出会う。 |
1950(昭和25)年 28歳 |
1月、新年をパリで迎える。 |
1951(昭和26)年 29歳 |
ケンブリッジ市パークプレイス19の集合住宅を、ハンガリー系フランス人デニス・シノーと共同購入する。 The Battles of Coxinga: Chikamatsu’s Puppet Play, Its Background and Importance(近松門左衛門『国性爺合戦』の研究)が、London: Taylor’s Foreign Press より刊行される。これにより、9月11日にコロンビア大学文学博士号を取得した。 オランダ・ライデン大学でシーボルトらの東洋学資料を研究する。 8月始め頃、第22回国際東洋学会参加のためランドローバー(ジープ)を購入し、友人の運転でフランス、イタリア、ユーゴスラヴィア、ギリシャ(アテネで2日間過ごし、アクロポリスに行く)からトルコ・イスタンブールまでを旅行。その旅行中に、谷崎潤一郎の『細雪』を耽読する。また、学会では本多利明に関する講演で好評を博す。 10月5日、ケンブリッジに戻る。 |