6月2日、時差ボケのまま行動を開始しました。父ドナルド・キーンの教え子、ハワイの日系二世でハワイ大学文学部で准教授だったミルドレッド・タハラからの情報、父の自伝、私のかすかな記憶などを基に、読売新聞の森さんと調査を開始しました。
この日の調査は、父が主に働いていたAnnexといういわば翻訳事務所の場所を特定することでした。
アメリカも日本と同様海軍と陸軍はそりがあわなかったと聞いていますが、Annexは呉越同舟で陸軍と海軍の翻訳者通訳が混在していて、10名から15名くらいだったようです。仕事は主に日本軍が戦場に残していった文書の翻訳と解読でした。またAnnexはアメリカ軍にとってAnnexは正式名称ではなく、秘密の施設でした。そんなこともあって当時の地図などにも載せていない、正確な住所も残っていないのではないかと思われます。
父と一緒に働いていた数名の名前が父の手紙などから確認できます。そのうちのおひとりに父と一緒に2014年だったと思いますが、ロサンジェルス空港の近くでお目にかかったことがあります。
Annexの直ぐ傍にターザンの作者、エドガー・ライス・バローが住んでいたことを父からも聞いていいましたし、自伝にも書いてあります。
いずれにしてもこの日、Annexが存在していたはずの一区画を訪れたのですが、デザインセンターという高いビルがふたつ建っていました。この辺で父が翻訳をしていたことを思い、周囲を一周して感慨にふけりました。
そうそう上司は、日本語はできず、実に意地悪な人物だったそうです。
以下写真は、Annexがあったと思われるあたりです。